福音に共にあずかる
1コリント 9:19〜27
だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました
キリスト者の自由
自由だけれども、他者のためにあえてこの自由を捨てる
自由であるがゆえに、自由を捨てる自由もある
奴隷の道を選ぶ自由もある
偶像に献げられた肉を食べてよいかどうかの結論
自由に食べて問題ないが、食べるべきではないと思っている弱い者のために食べない
ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。
自分は律法に支配されていないが、あえて律法に支配される人のようになった
信仰によって、自分の生き方、考え方を相対化することができる
キリスト者の自由、自分からも自由になる
律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました
律法を持たない人=異邦人
律法は絶対ではない
律法を守ることは救いの条件ではない
律法からの自由=これが福音
弱い人に対しては、弱い人のようになりました
義務の問題、参加しないといけない
奉仕の問題、奉仕しないといけない
献金の問題、什一献金しないといけない
できない人もいる
上から目線で裁いてはいけない
福音のためなら、わたしはどんなことでもします
自分の誇りや高ぶりや救いのために福音を伝えるのではない
福音のためであって、自分のためではない
自己実現のための奉仕の危険性
自分のからだを打ちたたいて服従させます
他人ではなく、自分のからだを服従させる
体を打ち叩かなくては、間違った方向へ走ってしまう
信仰で人を打ちたたいてしまう
キリスト者の自由
「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服しない」
「キリスト者はすべてのものに仕えるしもべであって、だれにでも服する者」
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