この岩の上に
マタイ16:13〜28
ピリポ・カイザリア
ローマ風の町作り
銀貨(デナリオン)には「カイザル・アウグストス・神の子・救い主」と刻印されていた
人々は、人の子を何者だと言っているか
・・・と言う人もいます
預言者の復活信仰
それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか
他人ではなく、あなた自身はどう思っているのかが問われる
自分は何者か
自分を見ていても分からない
つくり主から自分を見る
アイデンティティを刷新する
他人がどう見ようが、最終的には神がどう見るか
メシア、生ける神の子
油注がれた者、祭司
生ける神、偶像ではない生きた神
神の子、父と子の関係
この岩の上に
あなたはペトロ=石
石ではなく、岩(ペトゥラ)
カトリック教会はこれをペテロの首位権としてローマ教皇に継承されたと解釈
自分の小さな石ころの上に教会を建てようと思ってはならない
岩盤である「生ける神の御子イエス」という真理そのものの上に建てる
天の国の鍵を授ける
祭司として天の国の鍵を預かっている
自分勝手に鍵を使っていいわけではない
つなぐこと、解くこと
地上で繋ぐこと解くことが天にも繋がっている
つなぐこと=禁止、門戸を閉ざす
解くこと=許可、門戸を開く
いさめ始めた
そんなことがあってはなりません
自分の知恵、考えで神の働きを限定しようとする思い
この思いに対して、サタン、引き下がれ
神のことを思わず、人間のことを思っている
これが私たちの限界
自分を捨て、自分の十字架を背負って
自己中心をやめて
自分の王座にイエスを迎える
自分の十字架を背負って=死んだ自分の自我を背負って
それぞれの行いに応じて報いる
それぞれの行いとは
報いとは
愛はあるのか
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