2025.11.16 CS
- 宝塚バプテスト教会HP管理人
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主を求めよ、そして生きよ
アモス5:4~15
本日の聖書箇所の前のアモス書5章1~2節の「イスラエルの家よ、この言葉を聞け。おとめイスラエルは倒れて 再び起き上がらず 地に捨てられて 助け起こす者はいない。」との言葉が心に刺さった。このようにならないためにもイスラエルのことを祈らなければならない。
いやイスラエルだけではない。置換神学ではないが、霊的イスラエルとしての私たちも、心しなければならない。「シェマー、イスラエル。聞きなさい。霊的イスラエルであるあなたがたよ。わたしを求めよ、そして生きよ。。形式的な礼拝ではなく、神ご自身を求める礼拝をして生きよ」と。
「主を求めない限り、生きているとは言えない。それなのに自分のことばかりに汲々としていて、果たしてそれでよいのか」と主から問われている気がした。たとえ滅びゆく世界であったとしても、私たちは滅びゆくたましいであってはならないのである。
わたしを求めよ、そして生きよ
主を求めること
主を求めずしては、生きているとは言えない
ベテルは無に帰する
ギルガデ、ベテルは聖地
ベテル:主が嫌われた金の子牛の祭壇のあった所
金の子牛の祭壇は、北イスラエル王国の初代の王ヤロブアムが造った
ギルガル:偶像礼拝の地
すばるとオリオン:星々も信仰の対象とされたが、星を作ったのは神
闇を朝に変え:太陽神
海の水を集めて:バアルに雨乞い
北イスラエルは南ユダ王国のソロモンの神殿に対抗すべく、金の子牛を祭った神殿を建てる
宗教行事には熱心だったが、貧しい人を顧みず
神との関係、人との関係は切り離せないもの
義(神の愛)が川のように流れるようになるはず
その堅固な守りは破滅する
BC722年サマリアがアッシリアに陥落
お前たちの咎がどれほど多いか、その罪がどれほど重いか、わたしは知っている
主は私たちの咎、罪の深さを知っておられる
主の裁きの日には裁かれる
御子を信じる者はさばかれない
公正と義と隣人案
歴代誌下30章10節、11節
謙虚になってエルサレムに来た
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