栄光を現そう
ヨハネ 12:27-36
今、わたしは心騒ぐ
ゲッセマネの祈り
心騒ぐ時、静まって主の御声を聴く
心騒ぐ時、静まれない
イエスさまでも心が騒いだ
まして自分など、心が騒ぐのは当たり前
だから聖書がある、話を聞いてくれるみんながいる
何と言おうか
何と言うか、が分かれ目
何でも父に願えばいい、ということではない
父に願うことをよくよく吟味する、聖霊によって
父よ、わたしをこの時から救ってください、と言おうか
この時から救ってほしい、と思う時がある
イエスは「父よ、わたしをこの時から救ってくださいとは言わない」と言っている
しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ
自分は嫌でも、この時のために遣わされた
エステル、死ななければならないなら死にます
父よ、御名の栄光を現してください
神の名の栄光
あってあるもの
わたしはある
罪人に対する神の愛
心が騒いでいても、父の栄光のために成すべきことがある
自分の感情第一主義ではない
わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう
主の栄光が私を救った
主の栄光の在り方
イエスを十字架につけるという手段によって
群衆はこれを聞いて
神の言葉を理解できなかった
神が十字架によって栄光を現すことの意味合いを理解できなかった
自分たちに語られた言葉とは思わなかった
あなたがたのためだ
十字架の意味
聖書はイエスを中心に書かれているが、イエスの栄光のためではなく、私たちのため
今こそ、この世が裁かれる時
裁かれる時
終わりの時
完成の時
今、この世の支配者が追放される
自分の人生の支配者を追放せよ
支配者=サタン
すべての人を自分のもとへ引き寄せよう
引き寄せられる
すべての人=ユダヤ人以外も含めて
自分の力ではなく、イエスの力によって、イエスのもとに引き寄せられる
人の子は上げられなければならない
メシアは死なないと教えられていた
イエスがメシアならなぜ死ぬのか
メシアの初臨と再臨とを区別できなかった
光のあるうちに歩きなさい
光に包まれて歩む
自分がどこに行くのか分からない
自分はどこに行こうとしているのか
光の子となる
私たちは光の子である
光の子として歩んでいるか
光にふさわしい人
光のあるうちに、光を信じなさい
光を信じる
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