しかし、勇気を出しなさい
ヨハネ 16:25~33
わたしの名によって願うことになる
イエス・キリストの御名で祈ることが許されている。
父御自身が、あなたがたを愛しておられる
何と感謝な言葉であろうか。
神さまがこの私、このどうしようもない私、愛される価値のない私、聖きものから最も遠い私、
そのような私を愛しておられる。
完全な愛をもって愛しておられる。
この神の愛によって、神の愛の内に入れられているのである。
わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。
私たちも神のもとから出て、神のもとに帰って行く者である。
この世で素晴らしい行いをしたから、天国に入れるというのではない。
私たちは神のもとから出てきた者であるがゆえ、神によって遣わされたこの世でのミッションを終えれば、神のもとに帰るのである。
とは言え、もし私がその場にいたなら、「私たちを残して天に帰るなどと言わないで下さい」と駄々をこねたに違いない。
それゆえイエスは言われる。「父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである」と。
今ようやく、信じるようになったのか
非難しているのではない。
私たちも日々、今ようやく信じるようになったと思わされる者である。
あなたがたには世で苦難がある
この世で苦難があったとしても、神の愛の内に入れられていることに変わりはない。
いや、苦難の中にいるからこそ、よりいっそう神の大きな愛の内に入れられているのかも知れない。
世での苦難を神が私を愛しておられない証拠だと思ってはならない。
この世では苦難があるのだ。
しかし、勇気を出しなさい。
苦難に打ち勝つ方法、それは勇気を出すこと。
勇気を出すために苦難が与えられている。
わたしは既に世に勝っている
私たちの将来は驚くべき希望で満ちているという私たちの未来を信じて、神の愛の内にとどまり続ける。
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