2024.10.6 CS
- 宝塚バプテスト教会HP管理人
- 2024年10月6日
- 読了時間: 2分
託されるヨセフ
創世記 50:15〜26
自分たちをまだ恨み、昔したすべての悪に仕返しをするのではないかと思った
まだ恨んでいて、仕返しをするのではないかという恐れ
荘厳なヤコブの葬儀とそれを取り仕切るヨセフの力に圧倒させられていた
父の葬儀が終わると次はどうなるかが気になる
人を介して言った
人を介さなければ言えなかった
「兄たちはお前に悪いことをしたが、」これはヤコブの遺言
兄たちが悪いことをしたと悔い改めているわけではない
ヨセフは涙を流した
どんな涙か?
兄たちが自分に恐れを持っていることの哀れみ
自分の思いが兄たちに伝わっていないことの悲しみ
兄たちが悔い改めていることに感動した涙
ヨセフの前にひれ伏して
夢の実現
悪はそれを善に変え
神の摂理
兄たちは悔い改めをしたか?
原因はヤコブのヨセフへの溺愛とヨセフの態度
兄たちのしたことは非道だが、そもそもの原因はヨセフにある
自分の悔い改めだけで、リセットできるものではない
和解はきれいだが、ヒューマンドラマではない
人間性の限界
兄たちはヨセフの仕返しを恐れて、へりくだった
これによってヨセフの見た夢が実現した
和解
ヨセフは既に兄たちを赦している
兄たちの悔い改めが赦しの条件ではない
悔い改めが和解の条件との理解でいいのか?
キャスティングボートは兄たちのあるのか?
兄たちは悔い改めることなしに、平安を持つことができない
神と私たちとの関係も同じ
既に赦されている、イエスの十字架によって
しかし、そのことを自分のことと受け取らないなら、平安はない
単純なヨセフ
悪意はない、兄たちに夢の解き明かしをしただけ
父から与えられた衣を着ただけ
それが兄たちにどんな感情を巻き起こすか考えることもせず
そそのかされても、奴隷となっても、濡れ衣を着せされても、牢獄に入れられても
その境遇を受け入れ、真実の限りを尽くした
イエスさまとの対比
何を生意気な
最も小さな村から、何が生まれようか
大工ヨセフの息子ではないか
ヨセフはイエスさまの前景
自分の誤りを認め謝ることは難しい
御霊の介入が必要
これが御父の慈愛
「喜びの道のり」
私にその誤りを認めさせて
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