今日わたしと一緒に楽園に
ルカ23:26~43
イースターだけど、1週遅れなので、厳しい話を
イエスを引いて行く途中
イエスを引く
人々はイエスを処刑場まで引いて行った
田舎から出てきたキレネ人
イエスとは何のゆかりもない人
その人が突然十字架を背負わされる
その後人生が変わる
シモンに十字架を背負わせた
シモンにとって予想しなかった出来事
何で自分が
十字架を背負って主イエスについて行く
その十字架は主の十字架
喜んで担えるものは十字架ではない
それでも担うから主の十字架
シモンはやがて信仰者となった
シモンは十字架の重さをいやというほど感じたに違いない
わたしのために泣くな
イエスさまが可哀想だというのはなく、
自分自身の罪と、それに対する神の裁きのために泣け
悔い改めの涙を流せ
生の木さえこうされるのなら、枯れた木はいったいどうなるのだろうか
生の木=イエス
枯れた木=民衆
十字架は残酷な刑であるがゆえ、自分とは到底関係ないと思ってしまう
しかし、十字架刑以上に残酷にも思えるようなことが神の裁きとして起こる
それは他ならぬあなたに対してなのだ
父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。
私たちも自分が何をしているか、本当の深い意味、神の計画での位置づけは知らない
神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい
おまえの信じる神がいるのなら、世界はなぜこんな状態なのだ
自分を救えない者がどうして他人を救い得るのか
荒野での試み、神の子なら
あなたの御国においでになるときには
再臨の時
天国ではなく、楽園、神の国
今日わたしと一緒に楽園にいる
ルカにおいてはイエスのメシア的救いの時代のこと
十字架刑の処刑当日に死ぬことはなかった
イエスと共にあるということ=パラダイス
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