見つけだすまで
ルカ15:1〜10
神の必死さとみんなを交えての大喜び
徴税人や罪人が皆、話を聞こうとして近寄ってきた
私たちのところに徴税人や罪人が話を聞こうとして近づいてくるだろうか?
それはなぜ?
14章の大宴会のたとえの続き
招かれていた人は来なかった=救いに入らなかった
招かれるのにふさわしくないと思われていた人が招かれた=救いに入った
パリサイ人は罪人のいるイエスの宴会に入らなかった
罪人は喜んで一緒に食事をした
捜し回らないだろうか
神は失ったものを見つけるまで必死になって探される
神であれば、簡単に見つけられるはず?
アダムとイブに対して、あなたはどこにいるのかと神は尋ねられた
神は必死になって探される御方
迷子の羊や銀貨は見つけ出されるまで自力では戻れないから
自分から進んで悔い改めることはできない
捜されるのをただ待つだけ
銀貨に至っては見つけて欲しいとも思っていない
見つかるまで捜す、捜し回る
自分の宝だから、自分の創造物だから、最高傑作だから、なくてはならないから
自分が天国には入れるかどうかは重要事だが、
私にとって私が天国には入れるかどうかは最重要
そのためにイエスを十字架にかけたから
この1匹の羊を捜すためにイエスを十字架にかけた
念を入れて捜さないだろうか
「エピメロース」:念には念を入れて、執念をもって
見つけるまで
見つけるまで捜す
あなたはあきらめても私はあきらめない
一緒に喜んでください
一緒に喜ぶことなど普通はあり得ない
それほどまでに嬉しかった
宴会のたとえ、一緒に喜ぶ人を集めた
失ったものが見つかることで喜びがわき起こる
そんな「はした金」(罪人の救い)を見つけたぐらいで一緒に大喜びなど馬鹿げている
とのパリサイ人の思い
天国では大喜び、大宴会を催す
放蕩息子の兄の話につながる
自分のもの、自分にとって大切なものを失いたくないから、必死に捜し回る
ご自分の大切なものが失われていくのを、まあいいや、と放っておくのではなく、
捜しに来て、見つけ出し、ご自分のもとに取り戻そうとなさる
自分の作品だから
ともしび=教会
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