2026.7.19 CS
- 宝塚バプテスト教会HP管理人
- 3 日前
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神のともし火は消えず
サムエル上 3:1〜18
サムエルはエリのもとで主に仕えていた
神に捧げられた者
シロの祭司エリに預けられた
祭司として育てられた
私たちも祭司?
だが祭司としての自覚は少なく、祭司として育てられてもいない
祭司の役割は?
クリスチャンは皆、特別な仲介者を立てることなく、イエス・キリストを通して直接神に祈り、霊的な礼拝を捧げることができる特権を持つ
生き方を通し、言葉を通して、神に喜ばれる霊のいけにえを捧げる
自分で聖書を読み、解釈する権利がある
主の言葉が臨むことは少なく
主の言葉が必要ないほど上手く統治されていたからではない
神の言葉を失い、どこに向かって進めばよいのか分からなかった
祭司が堕落
現在はどうか?
目がかすんできて、見えなくなっていた
目がかすんでいないか?
しっかりと神を見ているか?
神のともし火は消えておらず
主の言葉が臨むことは少なかったが、神の火は消えていなかった
主の神殿のともし火は燃えて続けていた
サムエルがともし火を守っていた
わたしたちの心の中にもともし火は燃え続けている
7つの枝のある燭台(メノーラー)
「神のともしびが消される前であり」(新改訳)
サムエルはまだ主を知らなかった
私たちは果たして主を知っているか?
知る=体験的に知ること
主よ、お話しください。僕は聞いております。
主の言葉に耳を傾ける者でありたい
しかし主の言葉は聞くことができるか?
主に自分の思いばかりを伝えていないか?
「あなたが話すなら、聞こう」ではない
すでに聞くことの準備ができていること
主は来てそこに立たれ
主は来られる
そこに立たれる
それを聞く者は皆、両耳が鳴る
これから告げられる内容があまりにも衝撃的で、聞いた者の耳に激しくこだまし、身震いするほどの恐ろしい裁きであることを示ししている
主が御目にかなうとおりに行われるように
主の思いの通りに
自分の思いを基準としていないか?
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