心満たされる礼拝
ヨハネ 4:1〜26(参照4:27〜42)
サマリアを通らねばならなかった
サマリア地方は雑婚となり、偶像礼拝が行われていた
ユダヤ人はサマリア人と交際しなかった
神の必然
神の計画のためには避けることができなかった
女にとっては偶然のイエスさまとの出会い、神にとっては必然
正午ごろ
夕方6時と読みかえる必要はない
一人で井戸に来る女性などいない、ワケありの女性
水を飲ませてください
つるべは各自が持ってくる仕組み
女性が近づいてきたら、少なくとも6メートルの間隔を開けて退くのが習わしであった。
現場に第三者の証人のいない場所で女性に話しかけることはタブーだった。
よそ者の男は公けの場所で土地の女性と目線を合わすことすらしなかった。
女性を相手にあまり話をしてはいけない。
男性が、とりわけラビ(教師)は、外で個人的に女性と話をするなどということは許容されていない時代
ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして頼むのですか
ユダヤ人が腰を低くして「水をください」と頼み込む姿にびっくり
生きた水
井戸の中のたまり水ではなく、湧き出る水
私たちもたまり水にすがるのではなく、私たちの内から湧き出る水に期待する
御言葉をたまり水のようにして使うのではなく、御言葉から湧き出る水とする
わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る
私たちの内で泉とならなければならない
御霊により私の内から永遠の命に至る水がわき出るようになる
その水をください
物質的満足を求める願いであるが、求めることは求道者の心
神から生きた水が与えられるのであれば、もはや井戸のたまり水は必要でなくなる
わたしには夫はいません
罪の自覚
次々に求め、与えられても、決してそれで安心することのない人の欲望
一時は渇きが満たされても、また渇く
礼拝すべき場所は
ゲリジム山かエルサレムか、サマリア人とユダヤ人との間で論争されていた
イエスを預言者と認めたため出た問い
婦人よ
敬称をもって呼びかけた
エルサレムでもない所で父を礼拝する時がくる
特定の場所ではなく、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。
それは、このわたしである
わたしがそれです、エゴーエイミー、わたしはある
女は、人々に言った
人目を避けていた女性が人々に露わに伝えた
この世界には二つのかかわりがある(マルチン・ブーバー)
<我ー汝>のかかわり
「汝」は交換不能な存在
<我ーそれ>のかかわり
「それ」は交換可能な存在
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