そうでなくとも
神が救い出すことをよしとされなくても
自分中心の祈り
祈りの中心はあくまでも自分であり、自分の願い通りになることを目的として祈ってしまう。
けれども、自分が人生の主人であるなら、信仰生活のフォーカスは「いかに神様が(目に見えるところにおいて)自分の人生に良くしてくださるか。」になってしまう。
「いかに自分の人生を通して、主の御心がなされているか。」でなければならない。
神の民イスラエル(ユダヤ人)は、反キリストによって火の炉の中に置かれるような経験をしますが、必ずそこから救われる
Ⅰ ペテロ4章12〜14節
愛する人たち。あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように驚き怪しんではなりません。
神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
キリストが共におられる
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